【ブレイクスルーの扉】「ハードとソフトの両輪で強みを発揮」レフィクシア株式会社 代表取締役 / 東京工業大学 特任助教 高安 基大 氏

第5回は、土木の現場などで欠かせない高精度な位置情報システムをハード/ソフトの両面で提供するレフィクシア株式会社の高安基大CEOの登場です。六本木に工場を持ち、「Tokyo Tech OPen innovation(TTOP)2022」では特別賞を受賞したレフィクシアの奮闘と今後をお聞きしました。

東工大の後輩にも起業をすすめますか。

おすすめはしないですね。大変だからです。残業はしたくない、土日は休みたい、有給休暇はしっかり取得したいという人には特におすすめしないです。初年度の私の役員報酬はゼロで貯金を切り崩し生活し、2年目の役員報酬もあってないようなものでした。私は20代後半まで博士課程の学生で貧乏に慣れていたとはいえ、それらを乗り越えられるような気持ち、覚悟が必要です。このことには、起業してみて初めて気がつきました。

いつ頃から起業を考えていましたか。

修士課程のときです。同級生が経営するロボットベンチャーに参加していました。ロボットはグッドデザイン賞を受賞し、テレビCMや紅白歌合戦にも出演、ドバイ首相官邸へも売れました。そのときに楽しさを知ってしまい、また、経営に詳しいわけではない自分達でもできたのだから再度自分でもできるかなと思ってしまいました。なので、何をやるかを決める前に会社を作りました。

現在のビジネスへはどのようにたどり着きましたか。

最初は一人でしたし、何をやっていいのかわからなかったので、パソコン1台でできるものをと、まずはブロックチェーンのシステム開発を人月数十万円で受託しました。けれど、次の仕事を得るための営業をする時間がなく、受託開発したシステムは納品するとそれで終わりで、会社の成果としてソフトウェアは手元には残りません。これでは事業継続は難しいと気がついた頃、コロナがやってきました。

ものすごく後悔しました。就職したみんながリモートワークで安全に働こうと言っている一方で、こちらは営業しようにも誰も出社していないので会うこともできません。この時期はとにかくどうしたら自社サービスを確立できるかを考えていました。苦労の多い受託の時期が終わったと思ったら、受託で得た開発資金を食いつぶす時期が始まったのです。

このときに声をかけてくれたのが、高専出身の経営者でした。私は東工大の修士課程に入学する前、茨城高専に通っていました。起業する前年はその母校で教員をし、色々と賞を頂いたりしていたので、高専関係者の間では少しは知られた存在になっていたことが縁につながりました。

話を聞いて、太陽光発電所のパネルを設置する土地には実際には起伏があるのに、それを無視してシミュレーションを行っていると知りました。ここでパネルのレイアウトを3次元で設計するというニーズに気づき、これに賭けました。電気のシミュレーションは学生時代にもやっていたので勘もありました。

このときの私の選択肢は、3つでした。これを自社サービスとして開発して生き延びるか、開発が成功する前に資金が途切れるか、受託で会社を続けるか。受託については早々に選択肢から消え、あとは二択です。資金が尽きればコロナを理由に辞められるなあとも思いましたが、博士課程のときに無敵のメンタルを手に入れていたこともあって、絶対にできるという自信もありました。

設計システムは開発できました。ただ、売り先が見つかりません。太陽光関連の展示会に出向いてもコロナで出展企業は閑散としているし、オンラインでコンタクトしても反応がありません。

ここでまたも、縁に救われました。ロボットベンチャー時代の仲間からの人づてで、顧客が増えました。太陽光発電所の地形の3次元の測定には位置情報が必要です。その測定のために、ハードウェア端末とシステムが必要ということがわかりました。この段階で、元々やりたかったハードウェアと、この2年間で培ったソフトウェアを組み合わせることで、世の中に沢山あるソフトウェアだけのスタートアップとは違う希少種としてやっていけるようになったのです。実際にそのビジネスが伸びて今に至っています。初年度は600万円だった売上は、4年目には2億3000万円を超えました。

高専専攻科を卒業後、進路として東工大大学院を選んだのはなぜですか。

集積回路をやりたくて大学院の研究室を探し、見つかったのが益先生(益一哉学長)の研究室などいくつかでした。ホームページを見ると、先生は優しそうでしっかり指導してくれそうだし、やりたい集積回路の設計もできそうだし、研究室の行事も楽しそうで益研究室に決めました。

集積回路へのあこがれは、幼い頃から持っていました。LEDがピカピカ光るトランジスタキットのようなものを祖父からもらって魔法のようだなと思ったのを覚えています。地元の科学館に通い、子ども科学クラブでははんだ付けの匂いをかぐのが好きでした。当時は、将来はプレイステーションをつくりたいと思っていました。最先端の技術の結晶としてのプレイステーションです。この頃は、半導体を使って最先端の製品をつくっているのは日本メーカーだけでした。

ただ、1989年生まれの私が高専1年の時(2005年)、ドラッグストアの店頭で、それまで見たことのないメーカーのテレビを見つけました。見たことがない海外のメーカーの企業名が書いてありました。黒船がやってきた、日本の半導体は終わりなのかと思いました。最初に就職を考えた修士2年のとき(2014年)には、日本メーカーは一蹴されていました。日本メーカーに就職しても意味がないのではないかと怒りすら覚えました。

その時には起業が念頭にありつつも、商社や外資系コンサルティングファームなど、いわゆる文系就職を目指していました。ただ、OB訪問をして話を聞いてみると、そうした会社もそれほど自由ではないと感じ、自分のやりたいことだけを自分の意志だけで決めたいという思いが強くなってしまいました。

修士課程修了後にはすぐに博士課程に進まずに1年間、ベルギーでEU議会と国内で外資系戦略コンサルティングファームのインターンを経験しています。それぞれ英語と会社経営を勉強したかったからです。特にEU議会のインターンは学内選抜の競争率が高かったのですが、それでも、文系学生もいる他大学に比べると低かったはず。東工大は、他の東工大生がしないようなチャレンジをするのにいい環境だと思います。

インターンの後、すぐに起業することもできました。その頃には研究を続けたいとは思いませんでした。ただ私は東工大グローバルリーダー教育院(AGL)所属であったため、学費が全額免除されることに加えて、修士課程と博士課程で毎月の給付金も支援していただけることが決まっていました。そうであれば資金提供を受けながら起業の準備をすればいいと思っていたのですが、博士課程は修士課程とは全く異なり、そのような時間はありませんでした。

2023年に東工大ベンチャー称号を受けられています。変化はありましたか。

経団連のピッチイベント「Keidanren Innovation Crossing (KIX) 」へ誘ってもらい、そこで新規案件を獲得できました。VCから連絡が来るようにもなっています。ただ、私の場合は今のところ自己資本と売上で経営できていることと、また私自身が東工大の特任助教も兼任しているので、お墨付きという点では、他の認証ベンチャー経営者ほどの恩恵は受けていないように思います。

今後、会社をどのように成長させていきますか。

ビジネスでは、サブスクリプションに力を入れていきます。ハードウェアだけではなくて、継続して利用できるアプリケーションとWebクラウド、自動AI解析や3D点群処理の機能つまりソフトウェアの自社開発にも力を入れています。そのソフトウェアのサブスクリプションの加入者数が順調に増えていて、今後も継続してその数を増やしていきたいです。ハードウェアとソフトウェアの両輪でレフィクシア独自の強みを発揮していきたいです。

上場もしたいです。今、銀行は「ベンチャーを応援します」と言っています。でも、私はローンを組めません。ローンの申請用紙には勤務先が上場しているかどうか、従業員規模、創業年などを書く欄があり、起業間もないベンチャーでは審査を通らないからです。そんな厳しい待遇を受けるのが私だけならまだしも、社員やその家族にはその経験をさせたくはありません。会社を立ち上げ社員を雇用している以上、上場はしなければならないと考えています。

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高安 基大(たかやすもとひろ)氏
レフィクシア株式会社 代表取締役 / 東京工業大学 特任助教
高安 基大 氏 / レフィクシア株式会社 代表取締役 / 東京工業大学 特任助教
レフィクシア株式会社代表取締役、東京工業大学特任助教、工学博士。
東工大の益一哉学長のもとで『高分解能MEMS加速度センサに関する研究』で博士号を取得。その後茨城工業高等専門学校の助教を経てレフィクシア株式会社を設立。傍らで、茨城高専の特命助教と東工大の特任助教を兼任。会社は、高精度GPS端末と建設土木DXのAI・3D点群処理アプリ・クラウドのサービスを提供。
高安 基大 氏 / レフィクシア株式会社 代表取締役 / 東京工業大学 特任助教